ポケモンカード 見返り美人 ピカチュウプロモ PSA10 35 【激安大特価!】

ポケモンカード 見返り美人 ピカチュウプロモ PSA10   35
PSA鑑定により、10点と評価されたカードです。 カードはケースから取り出すことはできませんが、 衝撃や湿気から守ることができ、評価はいつまでも変わりません。 コレクションやオリパの当たり枠にいかがでしょうか。 よろしくお願いいたします。 #ポケモンカード #PSA
 人通りのまばらな国立競技場南西のデッキ下に、11枚のモザイク壁画が現れた...
オープンスペースに移設された壁画=10月11日、東京都新宿区の国立競技場で(五十嵐文人撮影)

オープンスペースに移設された壁画=10月11日、東京都新宿区の国立競技場で(五十嵐文人撮影)


デッキ下は薄暗いが、夜になるとライトアップされ作品が浮き上がった=10月16日(森本智之撮影)

デッキ下は薄暗いが、夜になるとライトアップされ作品が浮き上がった=10月16日(森本智之撮影)

 人通りのまばらな国立競技場南西のデッキ下に、11枚のモザイク壁画が現れたのは、夕闇迫る9月28日の午後だった。事前の公表はなく、周りには作品名や作者の表記すらない。「謎の巨大壁画出現」とネットでつぶやく人もいたが、1964年の東京五輪で日本の芸術を世界に示そうと制作された歴史的な作品群だった。(森本智之)

◆国立の建て替えで保存問題が浮上

 「点が点線になり線になったという感じです。残したい一心でしたが最後は願うしかなかった」。壁画の原画を描いた4人の画家の1人、大沢昌助の孫の昌史さん(56)は話す。
祖父の昌助が手掛けた「人と太陽」の前で笑顔を見せる大沢昌史さん=10月11日、東京都新宿区の国立競技場で(五十嵐文人撮影)

祖父の昌助が手掛けた「人と太陽」の前で笑顔を見せる大沢昌史さん=10月11日、東京都新宿区の国立競技場で(五十嵐文人撮影)

 11枚は旧国立競技場内に設置された。だが大会後は美術品として管理された様子はない。2度目の五輪を目指して国立の建て替えが決まると保存問題が浮上。管理する日本スポーツ振興センター(JSC)は2014年、保存先を決めないまま、解体に着手した。当時の本紙の取材には「JSCだけですべて保存できるかわからない。画家の出身地や出身校など譲渡先の公募も見据えて検討する」と回答。コストなどがネックだった。
 存在を忘れられたまま消えゆく可能性もあった壁画だが、全面保存を訴えたのが、モザイク壁画が専門の東京芸術大の工藤晴也教授(67)や大沢さんだった。工藤さんは「壁画は競技場と一体となって空間を作ってきた」と全作品を新国立に移すことを主張。大沢さんも署名を集め、与野党を問わず国会議員らを訪ねた。
工藤晴也東京芸大教授㊨と上哲夫さん

工藤晴也東京芸大教授㊨と上哲夫さん

 最終的にJSCが11枚全ての保存場所を決めたのは17年11月だ。その間も、建設費の膨張で新国立建設計画そのものがいったん撤回されるなど曲折があった。
 修復に当たったモザイク作家の上哲夫さん(80)は「おとなしいものじゃない。整っているわけでもない。時代がこの絵を作り出した」と、戦後成長期の「無鉄砲なエネルギー」を感じ取った。「この壁画はいまの時代には作れません。だから残すべきだと思った」

◆剥がれてぽろぽろの状態で保存 不遇の歴史刻む

剥落の激しい脇田和「勝利の場」。モチーフの陸上トラックは残ったが、月桂冠は消えてしまった=森本智之撮影

剥落の激しい脇田和「勝利の場」。モチーフの陸上トラックは残ったが、月桂冠は消えてしまった=森本智之撮影

 11枚の中でもひどかったのは、東京芸大時代の恩師の1人、脇田和の作品。表面のモザイク用ガラスは半分以上が剥がれ、手で触れるとぽろぽろとこぼれた。原画も写真も残っておらず、そのままの状態で保存した。64年の熱気とその後の不遇な歴史も画面に刻み込むことになった。
剥落したまま保存した脇田和作品(部分)=10月31日(森本智之撮影)

剥落したまま保存した脇田和作品(部分)=10月31日(森本智之撮影)

 上さんによると、保存が打ち出されてからもコスト面などで危機があったという。そのたびにJSCの担当を励ました。「本当に理解して内部で掛け合ってくれた職員がいました。移設が終わって『あなたが壁画を救ったんだよ』と電話しました」と目を細める。
 当初は展示スペースの都合で、壁画の一部切断も検討されたがJSCは床を掘り下げて対処。オープンスペースで11枚を一望できるようにしたのも大きい。競技場内で限られた人しか見られなかったこれまでとは異なる。工藤さんは「良い形で遺産を引き継げる」と話した。
 JSCは「当時の担当者は異動や退職している」として個別取材に応じなかった。代わりに「これから多くの方に楽しんでいただきたい」とコメントした。

◆そもそも壁画はどんなものだったのか

 1964年大会では、全13枚の壁画が制作された。「当時の最高の技術と材料を駆使」(工藤晴也東京芸大教授)し、戦中戦後を代表する画家が原画を描いた。テーマは、スポーツの喜びや躍動感、友愛などで、大きいもので8メートル四方程度になる。
 有名なのは、メインスタンドにあった「野見宿禰のみのすくね像」「ギリシャの女神像」(ともに長谷川路可)の2枚。JSCは「国立のシンボル」として2020年大会の前に、人通りの多い青山門に移設した。
 対照的なのが宮本三郎、脇田和、寺田竹雄、大沢昌助が描いた今回の11枚だ。旧国立内の通路に点在して設置され、知名度は高くない。作品の前に部屋を増築したり、自動販売機を置いたり。解体後もシートにくるまれて3年以上、屋外に置かれ傷みが進んだ。
 作風はバラエティーに富む。脇田和は3点描いたが、上哲夫さんは「1人の作家とは思えない。穏やかな紳士だった脇田先生の人柄とギャップがあり過ぎる」と驚く。五輪に向け、画家も「収まっていない、挑戦的な絵を描いた」。
 移設場所は五輪時は放送車両の駐車場となり、移設は大会後になった。現地に説明文がないのは不親切だが、JSCは「設置の予定はなく、今後ウェブサイトに掲載する」とする。
  1. facebook
  2. twitter
  3. linkedin
  4. pinterest

先輩社員からのメッセージ

Follow me!

車輪有り 簡易洗面台 ポータブル洗面台 手洗い台 汚水タンク付き 工具不要,
coach ダウンコート ブラック,
テーラーメイド 4U 5U 6U,
  1. ホーム
  2. ポケモンカードゲーム
  3. ポケモンカード 見返り美人 ピカチュウプロモ PSA10 35