【出品期限9/27まで】ニトリ/ベッドフレーム/クイーンサイズ 柔らかい

【出品期限9/27まで】ニトリ/ベッドフレーム/クイーンサイズ
2018年夏に購入した、ベッドフレームになります(マットレスは含ませていません)。 購入価格は64,000円程度でした。 引越と出産を機に敷布団に変更するため、出品することにしました。 引越し準備の関係上、9/27を出品の期限とさせて頂きます。 ベッド下の収納は大きく、季節物の毛布等を収納できます。 また、収納は左右を変更できるため、配置場所を選ばず使用できます。 また、ヘッド部分にも小さな収納があり、小物も収納可能です。 取扱説明書もございます。 【概要】 ●ニトリ クイーンベッドフレーム/ライトブラウン/照明/収納引出し付 ●サイズ:幅177.5cm/長さ218cm/高さ25 cm(ベッド部分93cm) 生活傷はありますが、大きな傷や汚れはありません。 ただし、中古品であることをご理解のうえ、ご検討お願いします。 引越しを伴う出品につき、変更返品はお受け出来ないことをご了承ください。 発送は梱包・発送たのメル便で発送します。 (送料33,000円は販売代金に含まれております。) カラー···ベージュ フレームの素材···ウッドフレーム(木製) ベッドの高さ···20cm~30cm 付加機能···収納・引き出し
 国立科学博物館が選ぶ「未来技術遺産」に9月、「黒電話」が登録された。今ではすっかり見かけなくなったが、昭和を知る世代なら誰でも使ったことがあるだろう。ありふれた電話のいったい何が、技術遺産になるほどすごかったのか。 黒電話を前にすると、今の若い人はもしかしたら戸惑うかもしれない。受話器を取り、相手
4号自動式卓上電話機=東京都千代田区で2022年10月19日、前田梨里子撮影
4号自動式卓上電話機=東京都千代田区で2022年10月19日、前田梨里子撮影

 国立科学博物館が選ぶ「未来技術遺産」に9月、「黒電話」が登録された。今ではすっかり見かけなくなったが、昭和を知る世代なら誰でも使ったことがあるだろう。ありふれた電話のいったい何が、技術遺産になるほどすごかったのか。

 黒電話を前にすると、今の若い人はもしかしたら戸惑うかもしれない。受話器を取り、相手の電話番号の通りに円形のダイヤルをジーコ、ジーコと回して電話をかける。

 「実際、NTTの新入社員でも使い方を知らない人がいますよ」。東京都武蔵野市のNTT技術史料館を訪ねると、担当の岩田玲子さん(42)が教えてくれた。

NTT技術史料館に展示されている歴代の黒電話。右は史料館担当の岩田玲子さん=東京都武蔵野市のNTT技術史料館で2022年9月28日午後4時25分、西川拓撮影
NTT技術史料館に展示されている歴代の黒電話。右は史料館担当の岩田玲子さん=東京都武蔵野市のNTT技術史料館で2022年9月28日午後4時25分、西川拓撮影

 黒電話の正式名称は「自動式卓上電話機」という。色が黒でないものも含めていくつかの機種があり、今回、技術遺産に認定されたのはそのうちの「4号」「600形」「601形」の3種類だ。

 何が「自動」なのかを説明するには、電話の歴史を振り返る必要がある。

 遠く離れた人に情報を伝える手段として、古くはのろしや太鼓、つまり光や音が使われた。電気を使う電信技術を日本にもたらしたのは、黒船で有名な米国人のペリーで、1854年のことだ。

 76年に米国のベルが電話を実用化し、2年後にはそれにならって日本でも国産第1号の電話機が作られたが、「小さな音しか出せなかったため、実用化しなかったそうです」と岩田さん。90年には東京―横浜間で電話サービスが開始された。電話機はまだ輸入品だった。

手動で電話回線をつなぐ電話交換手=1955年撮影
手動で電話回線をつなぐ電話交換手=1955年撮影

 電話は、音声を電気信号に変え、電線を通じて相手に送り、電気信号を再び音声に変換して通話する。初期のころは、電話をかけると直接相手につながるわけではなく、通話する側の電話機と受ける側の電話機を「電話交換手」と呼ばれる人が手動でつないでいた。

 通話したい人は、電話機についている発電機のハンドルを回す。すると電流が流れ、電話局にいる交換手に通話の意思が伝わり、まず交換手に電話がつながる。

 通話したい相手を交換手に口頭で伝えると、交換手が相手方の電話機に通じる回線にプラグを差し込む。これで相手と通話ができるようになる。当然、このころの電話機にはダイヤルはついていなかった。

 電話回線が少ないうちは、こうした「手動交換」で事足りた。東京―横浜間で電話サービスが始まったころの電話加入者表が毎日新聞東京本社に残っているが、これを見ると、電話番号は東京で269件、横浜で60件しかない。

初期の電話加入者人名表には、大隈重信(177番)や渋沢栄一(158番)の名も見える=東京都千代田区で2022年10月19日、前田梨里子撮影
初期の電話加入者人名表には、大隈重信(177番)や渋沢栄一(158番)の名も見える=東京都千代田区で2022年10月19日、前田梨里子撮影

 ちなみに東京の電話番号1番は東京府庁(現在の都庁)だ。日本銀行(29番)など政府機関や大企業、新聞社が主で、渋沢栄一(158番)、大隈重信(177番)、前島密(248番)らの名もある。個人で電話を持っていた人は極めて限られていたことが分かる。

 しかし、加入者が増えてくるに従い、手動交換では限界が見えてきた。1923年の関東大震災からの復興をきっかけに、自動化の研究が進められた。26年には、電話番号を1ケタずつたどるように機械が動いて回線をつなげる自動電話交換機が実用化され、翌年、初めてダイヤルのついた電話機が登場した。これでようやく、ダイヤルを回せば自動的に直接相手につながる電話が実現した。

 ただし、これは市内通話だけのこと。距離が長く電話局をいくつも経由しなければならない市外通話は、相変わらず交換手を通す必要があった。東京―大阪間で初めて交換手を介さずに直接通話できるようになったのは、63年のことだ。

 電話事業はもともと官営で、電話機も中央官庁が主導して開発した同じ形式のものが生産された。この方法は、大量生産により全国に電話機を普及させるためには効率がよく、85年にNTTが発足して民営化されるまで、中央主導の電話機開発は続いた。

 電気通信省(当時)の主導で50年に登場したのが「4号」黒電話だ。それまでの電話機は外国製品をまねて作られたが、4号は純国産技術で開発された。音質を定量的に評価できる独自の試験方法を編み出し、音響性能が格段に高まった。

 岩田さんは「従来の電話機とはまったく聞こえ方が違い、海外製より良かったため、『ハイファイ(再現性が高い)電話機』と呼ばれたそうです」と話す。

600形自動式卓上電話機=東京都千代田区で2022年10月19日、前田梨里子撮影
600形自動式卓上電話機=東京都千代田区で2022年10月19日、前田梨里子撮影

 NTTの前身の電電公社が開発した後継機の「600形」(62~79年に製作)は、軽量化を進め、大量生産しやすく改良され「電話機の完成形」と言われる。78~86年に製作された「601形」は、73年のオイルショックを踏まえて低コスト化や、部品の再利用による省資源化が図られた。

 黒電話が活躍した時代、国内の固定電話加入数は約120万件(50年度)から40年間で5400万件以上へと飛躍的に伸びた。日本の高度経済成長を支え、特別なものだった電話が「一家に1台」となり、誰でも使えるようになる時代を作ったのが、黒電話だったというわけだ。

黒電話の使い方を説明する岩田玲子さん。NTT技術史料館では実際に体験できる=東京都武蔵野市のNTT技術史料館で2022年9月28日午後4時半、西川拓撮影
黒電話の使い方を説明する岩田玲子さん。NTT技術史料館では実際に体験できる=東京都武蔵野市のNTT技術史料館で2022年9月28日午後4時半、西川拓撮影

 携帯電話の普及により、固定電話加入件数は97年の約6300万件をピークに減少に転じた。電気通信事業者協会によると、今や国内の携帯電話の総契約数は1億9500万件を超え、日本の人口をはるかに上回る。電話は「1人に1台以上」の時代になった。一方、電話を表すアイコン(マーク)には、いまだに黒電話のシルエットが使われることが多い。

 「誰もが思い浮かべる電話のイメージであり、一般の方になじみ深い黒電話が未来技術遺産に登録されたことは、とてもうれしい」。岩田さんは、そう言って喜んだ。【西川拓】

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